誰かがやってくれる研究をなぜ自分がするか

研究アイデアを書き溜めるようにしています。そうすると1−2年のうちに先を越されることが多々あります。強迫性障害に対するSSRIの用量反応メタアナリシス精神病性うつ病の治療法に関するNMAアカシジア治療のNMAボルチオキセチンの用量反応メタアナリシスなどです。悔しいですが、Lancet Pyschiatryなどのトップジャーナルに掲載されると、目の付け所は悪くなかったのだとも思えます。

しかし、どうせ誰かがやってくれるなら、なぜわざわざ自分がやるのでしょうか。

よりよい研究を提示するため

同じテーマで同じ手法を使っていても、類似論文の質に満足できないことが多々あります。アカシジアの論文は、ランダム化比較試験に基づくとはいえとても数が少なく結果の信頼性が低いものを推奨していました。ボルチオキセチンの用量反応メタアナリシスは、検証されていない高用量も有効かもしれないとアブストに書くなど、アンフェアに高用量を推奨していました。

しかし、同じテーマで同じ手法の論文があると、自分たちの論文を出そうにも差をアピールするのが簡単ではありません。問題があると思ったらレターを出すなどする程度でしょうか。

自己満足のため

結局は自己満足のためにやっているのかもしれません。論文出したら自慢したいですし。


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